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「見える安心」の価値を見直そう

 以前、食の安全についてのコラムを執筆しましたが、いよいよ来月末に、野菜や水産物に使う農薬や医薬品などを細かく規制する制度が導入されます。これにより、農薬等の一定量(「人の健康を損なうおそれのある量」)含まれている野菜や水産物の流通が原則禁止となり、食の安全性が高まります。食品業界によるコスト増分の価格転嫁が生じたり、規制緩和時代の規制強化ではありますが、生活者の行為の実態に即した取り組みであると思われます。

 都市生活研究所の定点観測調査によると、生活者は全般的な健康意識が高まっているにもかかわらず、食による健康意識は減っています。「以前より健康に対する意識が高まった」と答えた人が「あてはまる」「ややあてはまる」の合計で87%もいるのに対し、「日常の生活でバランスの取れた栄養をとることを心がけている」「体によいか悪いかを考えて食品を選び、食べるようにしている」に「あてはまる」と答えた人は、それぞれ93年から05年にかけて、53.7%→40.9%、38.7%→32.2%と減少しています。これは、理屈では分かっていても、生産者の顔や製造加工の過程が見える食べ物の購入やバランスの取れた栄養摂取が、食の簡便化志向に流されて、実態としては難しいのだと考えられます。そのため、制度として食の安全を国が定めることは非常に重要だと思います。

 しかしながら、食以外にも、実態や構造が見えにくいものはたくさんあります。化学物質や電磁波による健康被害、マンションの構造など住生活でも、技術の急速な発展の裏で、長期の間に、どんなしくみで何に影響するか分からないという不安を抱える時代になっているように感じます。目に見えないがために、普段気をつけようにも気をつけることができない、また長い年月をかけて影響を及ぼす可能性があることへの不安は、簡単便利な生活を手に入れた代償として増えてきているのではないでしょうか。

 私たち生活者は、規制に依存するだけでなく、簡単便利な生活で見えなくなってしまったものを「見える安心」に替えるような生活を、自ら取り入れることが重要だと思います。大量生産された食品よりも、製造過程が見える食べ物を使って自らの手で調理する。人体への影響が解明されていないものの摂取は自ら判断する..。そのためには、新しい技術によって知るべき知識を公正に情報収集できることが、より一層求められます。次代に生きる人たちのためにも、効率重視の世の中を振り返って、「見える安心」の価値を見直し、行動できる社会にしたいものです。

都市生活研究所 荒井 麻紀子

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